10, 02, 2020

【4K】人々の命を守るために遷座した水神の古社:奈良県・丹生川上神社上社(Niu-Kawakami Shrine Kamisha | Shinto Shrine in Nara Prefecture)

2020-10-02に公開
神社ワンカット紀行 Shinto Shrine Tour Channel

※チャンネル登録、高評価、是非是非(*´ω`*) https://www.youtube.com/channel/UCLlxwEjrurRyyR6fucWfW1g?view_as=subscriber ※社殿を遠方から空撮した映像は神社側の許可を得て撮影しています どうも、管理人のヒロリンです。 奈良県吉野郡、桜の名所として知られる吉野山の麓にそれぞれ鎮座する丹生川上神社(にうかわかみ神社)上社、中社、下社。 三社は数奇な歴史を辿った神社として知られています。 吉野は初代神武天皇が熊野から大和へ向かう東征の時に天神から天皇即位の教示を受けられた聖地。吉野離宮も造営され、歴代天皇が行幸した場所としても伝わります。 そんな吉野の麓に鎮座する丹生川上神社は西暦675年に「深山に我を祀らば、甘雨(かんう)を降らし、霖雨(りんう)を止めん」という神託があり、それに従って天武天皇によって社殿を造営したのが始まりとされています。 以来、祈雨・止雨の社として重んじられ、平安時代に入ると水の神を祀る神社として京都の貴船神社と共に朝廷から篤く保護されてきました。 しかし、応仁の乱(1467~1477)を境に、乱世の煽りを受けた同社は社運が下降。それまでの5世紀半で96回の奉幣を受けた名社にも関わらず、いつしか所在地すら不明となってしまいました。 やがて、明治時代となり、神社の社格を定める際に、所在地すら不明となった丹生川上神社の所在を巡る研究が盛んとなります。その結果、「高龗(たかおかみ)神社」と称された上社、「蟻通(ありどおり)神社」と称された中社、「丹生大明神社」と称された下社が丹生川上神社の候補として挙がります。 しかし、三社のうち、どの神社が丹生川上神社かという答えは出ず、三社共に丹生川上神社であるという結論に達しました。その結果、明治4年に下社が、明治29年に上社が、更に大正11年に中社がそれぞれ当時の社格の最高峰である「官幣大社」となり、それぞれ異なる水神を祀る神社となりました。 そんな複雑な歴史を辿った丹生川上神社三社。今回はその中から「高龗(たかおかみ)神社」と称された上社について紹介していきたいと思います。 ******************** 吉野の里を包み込む山々の麓に流れる清流。奈良を流れる時は吉野川、和歌山を流れる時は紀の川と呼ばれている川の上流に位置する奈良県川上村に丹生川上神社上社は鎮座しています。 村を囲うようにそびえる山々にはびっしりと見事な杉の木が覆っている光景が見れる場所。川上村は全国的にも有名な吉野林業の中心地。豊かな森では清らかな水を生み出し、滝を作りだしています。丹生川上神社上社の付近には高さ50mの「御船の滝」、更に高さ30mの「蜻蛉(せいれい)の滝」など、自然が造り出した迫力ある水の芸術作品が見られる場所でもあります。 そんな豊かな自然に囲まれた川上村の中心地には平成25年に完成した「大滝ダム」というダムがあります。 たびたび水害を引き起こす吉野川の治水を目的に作られた大滝ダム。しかし、このダムと引き換えに川上村の多くの家屋、そして丹生川上神社上社はダムが造り出した人工湖の水の底に沈むことになったのです。 昭和34年に未曽有の大災害となった「伊勢湾台風」。この台風をきっかけに吉野川の治水を目的とした大滝ダムの計画が持ち上がりますが、歴史ある丹生川上神社上社がダムの底に沈むことが分かると村人、更には氏子崇敬者の反対運動が巻き起こりました。 しかし、「人々の安全には変えられない」と当時の宮司が遷座を決断。川上村の村民だけでなく、吉野川流域の人々の安全のためにダム建設、そして遷座はやむをえないものとされたのです。その結果、上社の社殿は取り壊され、ダムのすぐ側にある高台に遷座。 遷座後はまるで空に浮いているかのように鎮座することになったことから同社は「天空の社」とも称されるようになりました。そんな上社の境内の一角にはダムの底に沈んだ旧鎮座地を拝する遥拝所が設けられています(動画内では3:13に登場)。 歴史ある古社でありながら、ダム建設のために水没した丹生川上神社上社。しかし、その信仰の篤さは大滝ダムによって作り出された人工湖の名前が物語っています。丹生川上神社上社の旧鎮座地もある人工湖の名は「おおたき龍神湖」と名付けられ、旧境内地の上にある湖面には、お宮の往時を忍ぶべく、龍神の記念像も浮かべられました。 旧鎮座地ではダム建設を前に境内の発掘作業が行われ、本殿の下からは平安時代の頃のものとされる祭祀遺構が出土。付近にも縄文時代の環状列石が点在することが判明し、かつて一帯が重要な神域であったことが改めて示されています。 現在の鎮座地では旧鎮座地で発見された祭祀遺構を復元した場所(動画内では2:23で登場)や、かつてのご神木の切り株なども据えていて、新しい社殿ながらも悠久の歴史の薫りが漂っているかのようです。 現在の社殿は遷座に合せて、旧遷座地のご神木と伊勢神宮の古材を併せて造営されたもの。拝殿の扁額には「神雨霑灑(しんうてんさい)」の文字。神雨霑灑とは神の雨が潤し、注ぎ、恩恵を施すという意味です。 上社が祀っている神様は水神である高龗大神(たかおかみのおおかみ)。神名の「高」は山を、そして「龗」は谷を表し、2つの場所を流れる水を守るとされています。生けとし生けるものは、すべて水なくしては命を保持することは出来ず、ましてや農業をもって国家の基礎としてきた日本にとって雨を降らせ、止める高龗大神に対する崇敬の念は昔も今も極めて篤かったとされています。 数奇な歴史を辿り、人々の命のために自ら犠牲となり、現在の高台の地に遷座した丹生川上神社上社。人々の幸せを願う水神の社はこれからも人々と共に年月を重ねていくことでしょう。 Niu-Kawakami Shrine is a Shinto shrine located in Nara, Japan. The shrine became the object of Imperial patronage during the early Heian period. In 965, Emperor Murakami ordered that Imperial messengers were sent to report important events to the guardian kami of Japan. These heihaku were initially presented to 16 shrines including the Niu-Kawakami Shrine. From 1871 through 1946, the Niu-Kawakami Shrine was officially designated one of the Kanpei-taisha, meaning that it stood in the first rank of government supported shrines. Water nourishes all life. People all over the world remember the benefits of water, especially among the agricultural people. In Japan, where rice cultivation was the foundation of the nation, the belief in the water god was also popular, and people prayed to the gods for clear rain and flood control from time to time. Niu-Kawakami Shrine enshrines a famous water god.