07, 06, 2020

【4K】機織の地を支え続けた尾張国一宮:愛知県・真清田神社 (Masumida Shrine| Shinto Shrine in Aichi Prefecture)

2020-07-06に公開
神社ワンカット紀行 Shinto Shrine Tour Channel

どうも、管理人のヒロリンです。 ************** 突然ですが、今回の動画でまず皆さんに謝らなければならないことがあります。 この動画は2020年6月19日に公開し、その日のうちに19人の方からコメントを頂いていました。翌20日にコメント返しをする前に再生リストの編集をしようと作業していたら誤ってこの動画を削除してしまい、頂いたコメントも全て消えてしまいました。 皆様から頂いた温かいコメントに対して一つ一つ丁寧に返信したかったのですが、僕のミスでコメントが全て消えてしまい、大変申し訳ありません。 今後はこのようなミスがないよう心掛けたいと思いますので、今後とも高評価、コメントのほどよろしくお願いいたします。 ************** 今回は愛知県一宮市に鎮座する旧尾張国の一宮神社、真清田神社(ますみだじんじゃ)を紹介したいと思います。 真清田神社が鎮座する旧尾張国は、おおむね現在の愛知県名古屋市以西を指していて、県名の由来となった愛知郡を含む8郡で構成されていました。真清田神社が称される「尾張国一宮」はその尾張国でご神徳・由緒などがもっとも名高いということを指しています。 真清田神社を創祀した尾張氏は、その名が符号するとおり尾張一帯を開拓した氏族で、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る熱田神宮の大宮司家でもあります。 伝承によれば、真清田神社の創建は紀元前628年。何といまから約2600年もの昔のこと。 真清田神社がご祭神として祀っている天火明命(あめのほあかりのみこと)が大和の国にある葛城山の高尾張邑(たかおわりむら)を発ち、尾張国の現在の地に鎮まったことが起源と伝わっています。 この天火明命とは、尾張一帯を開拓した古代の氏族・尾張氏の始祖。尾張氏は移住先の尾張でまず祖神を祀る真清田神社を建て、同社を中心に街を造営したと考えられています。 そんな真清田神社が祀っている天火明命は、神名が示す通り、太陽の光や熱を神格化している神様で、ご神徳も壮大。家内安全などの身近なものはもちろん、国土開卓や産業守護といった大局的な事象にも力を発揮するといわれています。 さらに、「火明」の神名からは稲穂が熟して色づく「穂赤熟(ほあかり)」の意味だとする説があり、そのことから、農業の守り神としても崇敬されてきました。 同地で長く崇敬を集めていた真清田神社は神代からの歴史を有する同社にふさわしい、穏やかな緑の社叢と、端正かつ落ち着いた風合いの社殿が広がっています。その現在の社殿は、主に昭和20年の空襲後に復興された社殿が占めています。 再建は江戸時代の建築様式に沿って行われていて、本殿の一部に伊勢神宮の古材を使用するなど、細部にまでかけられた情熱を見逃さずに参拝したいものです。 Masumida Shrine is a Shinto shrine in the city of Ichinomiya in Aichi Prefecture, Japan. As the name of the city implies, the shrine is the ichinomiya of former Owari Province. The primary kami of Masumida Shrine is Amenoho no Akari no mikoto, who appears in the Kujiki as a descendant of Amaterasu, and the ancestor of the Owari clan, the prehistoric rulers of the area. The date of Masumida Shrine's foundation is unknown. Shrine tradition and the Kujiki records give the date of 628 BC, or the third day of the third month of the 33rd year in the reign of Emperor Jimmu. Another tradition gives the date of foundation to the reign of the semi-legendary Emperor Suinin (97 BC – 30 BC). The shrine is located near the site of the provincial capital of Owari Province, established in the Nara period and features in the Yamato Takeru myth cycle. During the early Heian period, it appears in the Engishiki records. It has been styled as the ichinomiya of Owari Province since at least the end of the Heian period. In 1584, after the shrine was damaged by an earthquake, it was rebuilt by Toyotomi Hideyoshi. It was subsequently supported by the Tokugawa shogunate and Owari Domain until the end of the Edo period. After the Meiji Restoration, the shrine was classed as a Kokuhei Chūsha (2nd rank National Shrine) under State Shinto in 1875. The shrine was destroyed in the Ichinomiya air raid of 1945 and was not rebuilt until 1951, with reconstruction taking ten years. Four of the shrine buildings are Registered Tangible Cultural Properties